ブックタイトルTAKAMATSU ART LINK 令和2年度報告書

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概要

TAKAMATSU ART LINK 令和2年度報告書

アサダワタル/ ASADA wataru(文化活動家)1979 年生まれ。音楽を始めとした「表現」を軸に、福祉施設や復興住宅、小学校や住居やまちなかで、属性に埋もれない「一人ひとりの個性」に着目したコミュニティづくりを行う。2019 年から、品川区立障害児者総合支援施設のコミュニティアートディレクター(社会福祉法人愛成会所属)として、障がいのある人と地域をつなぐ実践に従事。近著に『住み開き増補版 もう一つのコミュニティづくり』(ちくま文庫)、『ホカツと家族 家族のカタチを探る旅』(平凡社)、『想起の音楽 表現・記憶・コミュニティ』(水曜社)など。東京大学大学院、京都精華大学非常勤講師、博士(学術)。特別寄稿 アサダワタルマスクが日常になった。失ったのは口だけではない。「声」である。マスク越しの声は聞き取り辛く、本来のその人の声を曇らす。音楽に携わる身として、とりわけ私にとって大事なのは、その声に最大限の表情をもたらす「歌」という存在だ。多くの場所で歌が消えた。ライブハウス、コンサートホールはもちろんのこと、学校、公園、教会、福祉施設に到るまで。歌い手はマスクはもちろんのこと、他の歌い手や観客席との間にビニールやアクリル板を設置。合唱は難しくなり、生の声に触れる体験の質を改めて問わなければならない。私は2016 年末から、福島県いわき市にある下神白団地に通っている。富岡町、大熊町、浪江町、双葉町という帰宅困難区域を大幅に含む4町の方々が2015 年から暮らしている県営の復興住宅だ。そこで、住民一人ひとりのかつて住んでいたまちの思い出の楽曲と語りを、ラジオ番組(脚注1)にしてきた。また、その楽曲を題材に住民によるボーカルのもとでバックバンドを結成し、演奏活動もしてきた。毎月欠かさず月2日程度通って来たが、2020 年2 月よりコロナで通えなくなってしまった。そのほんの2か月前の2019 年12 月23 日には、住民さん50 名程が集会場に集まって合唱イベントが行われていたのだ。当時の記録映像を見返したら、まさに「夢のような時間だった」と感じる。数年間積み上げてきた住民さんとの関係性がぎゅっと凝縮され、バンド仲間たちとこうして住民さん一人ひとりの歌と記憶を愛で合える場。共に声を響かせ合う場。それは事後的に見れば「三密」の極みだが、改めてコロナ禍で失ったものの大きさを実感した。2020 年6 月からオンラインでの訪問をはじめ、普段関東にいるバンドメンバーがレコーディングした演奏を、ヘッドフォンで聴いてもらいながら住民一人ひとりが御自宅で個別に歌う、文字通りの「宅録」をスタートさせた。その様子を収めたミュージックビデオを作成したり、オンラインで住民宅と東京の会場をつないで生演奏カラオケライブをするなど、やれることをやってきた。失った「声」を、「歌」を、いまの時勢でどう取り戻すか。それはすなわち、会えない者同士がどうつながりあえるかという挑戦そのものだ。一方、「声」を上げた人たちもいる。私が深く関わる、障がい福祉とアートに携わる二つの法人で長年にわたって起きていたハラスメントに対して、2名の被害女性が加害男性と一法人を告発(脚注2)したのだ。私も被害者、加害者、そして二つの法人をよく知る立場として、被害者たちと共闘する立場で関わっている。このハラスメントはもう10 年近くも行われてきたが、これまで誰も声を上げることができなかった。彼女たちによれば、10 年前はハラスメントに対する社会の目も緩く、多少のことは仕方ないという空気があったと語る。また、周りの友人たちも同じような環境におり、転職しても逃げ場がないとも。しかし2018 年頃から日本でもMeToo 運動が広がりをみせ、人の尊厳を根こそぎ奪い取ろうとする性暴力の存在、しかもそれらを組織的になかったことにしようとする構造的な暴力の存在も含め、徐々に社会的認知を得て来た。こういった流れが、彼女たちを後押ししたのが事の経緯の本質であることは間違いない。その一方で、やはりコロナ禍の影響も関係あると思う。コロナは、人と人との距離を物理的に遠ざけた。普段、頻繁に会い交わしていた上司や同僚、また学校であれば教員や学生たちと物理的に会う時間が減った。それは寂しいことであり、ディスコミュニケーションが生まれる要因でもあるが、その一方で、「物理的な接触がもたらしていた圧力」を遠ざけることもできたと思う。対面授業では教員や他の学生たちとのやりとりに萎縮してしまい、何も言えなくなる学生が、オンライン授業であれば意見を表明しやすいということはある。同調的な圧力をいい意味で躱し、「個人」に立ち返って恐れずに物を言うこと、またこれまで集団のなかで気を配ることに精一杯だった気持ちを整理し、本当に「個人」として大切なことをちゃんと見つめて、声を上げる覚悟をすること。コロナ禍はその時間をもたらした可能性があるのではないか。マスクが日常になって、私たちは声を聞き取りにくい。2021 年はどうなるのだろう。今度もし「日常」に戻れるとしたら、他者の多様な声に、かそけき声に、そして自分自身の違和感という名の未だ言葉にならない声に、想像力を駆使して耳を澄ますことができる日常でありたい。脚注1https://tarl.jp/wp/wp-content/uploads/2020/04/2019_astt_shimokajiro.pdf(ドキュメント「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ 2017-2019」)https://tarl.jp/randd/2020/hosokai02_report/(オンライン報奏会|第2 回「2019 年の報奏 とりわけ伴奏型支援バンド(BSB)編」開催レポート)などを参照。脚注2https://www.fnht.org(# ただふつうに働きたかった 「愛成会」と「グロー」の性暴力とパワハラ被害者を支える会)を参照。「声」を失っても「声」を上げるアサダワタル(文化活動家)ドキュメント「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ 2017-2019」アサダワタルWEBSITEhttps://www.kotoami.orgしもかじろかわ09 | | 10