ブックタイトルアイパル通信(2020年 秋号)
- ページ
- 4/6
このページは アイパル通信(2020年 秋号) の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは アイパル通信(2020年 秋号) の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
アイパル通信(2020年 秋号)
香川県内で国際交流や多文化共生の分野で活躍されている方にスポットを当て、紹介するコーナーです。 今回は、アイパルの外国語講座のロシア語講師であり、香川とロシアとの交流に長年にわたり貢献されている、十川宣治( そがわ せんじ)さんにお話を伺いました。十川さんが代表をされている「四国カムチャツカ文化交流センターしらさぎ事務所」(以下「しらさぎ事務所」)について教えてください。 私は、以前カムチャツカ国立大学外国語学部で日本語を教えていたのですが、その時の同僚等と協力して、日本とロシアを結ぶ活動を継続・発展させるために設立した事務所で、今年で創立10周年を迎えます。しらさぎ事務所の中心となる業務は翻訳で、ロシア語はもちろん、旧ソ連15カ国の言語や東欧の言語などにも対応しています。翻訳以外にも、通訳やロシア語教室、留学生の受入れサポート、文化交流など幅広い活動を行っています。特に、留学生の受入れサポートには力を入れており、穴吹ビジネスカレッジさんと連携して、毎年夏に約1カ月間ロシアからの留学生を受け入れ、日本語だけでなく、日本の文化や社会について体験的に学べるプログラムを実施しています。社名になっているシラサギは、ロシアから来た留学生たちが香川で一番美しいと感じる鳥なのですが、ロシアの若者たちに、その姿が優雅なだけでなく、狩の名手でもあるシラサギのようにたくましく未来を切り開いてほしいという願い込めて名付けました。十川さんがロシアに関心を持つようになったきっかけは? 私のロシアとの出会いは、大学で第二外国語としてロシア語を選択したことです。ほかの言語に比べて初めて勉強する学生が多く、みんなと同じスタートラインで始められるという理由で選びました。また、ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカやソ連の崩壊など、なにかとロシアが注目されていた時代だったことも、関心を持つようになったきっかけです。 当時、大学のロシア語クラスで、先生からよく言われていたのが「毒を食らわば皿まで」という言葉です。一度ロシア語を学んだら、とことんロシアについて興味を持ちなさいということですが、私の場合、まさにその言葉通りになりました。カムチャツカ国立大学で教員をされていたということですが、カムチャツカに行くことになったきっかけは? 大学卒業後地元で就職しましたが、就職して安定を得たはずなのに、1年半ほど経った頃から、このままこの仕事を続けていっていいのだろうか、という気持ちを持ち始めました。そんなとき、たまたまカムチャツカ国立大学での日本語教師募集の案内を見つけ、応募することを決めました。学生時代1年間モスクワに留学したことがあったのですが、そのときに留学の成果があまり得られず、もう一度ロシアで生活してみたいという気持ちがあったことも後押しとなりました。また、日本からは、なかなか訪れる機会がないカムチャツカに行けるということも魅力でした。結局10年近く滞在することになり、そのときに出会った人たちとのご縁が現在の活動にもつながっています。十川さんにとってロシアの魅力は? 難しい質問ですが、ロシアで生活していて一番楽しかったのは、現地の人たちとの交流です。ロシアの人たちは、感情表現がストレートで、何を考えているかわかりやすく、付き合いやすいと感じました。また、多くの人が「人間は善良なもの」と信じており、第一印象は必ずしもフレンドリーというわけではないですが、人情に厚く、一旦友人になったら、家族のように接し、たとえ離れてもずっと覚えていてくれます。人懐っこい面もあり、「この人に近づきたい」と思ったら、あの手この手でアプローチしてくるのですが、その方法が巧みで、人付き合いのスキルが高いと、いつも感心していました。ロシアやロシアの人たちとの出会いによって、どんな変化がありましたか? ロシアの人たちと接していて一番感じたのが、「もっと自由に生きていいんだ」ということでした。今の若い人たちは少し違うかもしれませんが、私たちの世代は、「いい大学を出て、いい会社に就職して…」というように、人生はこうあるべきという感覚が強いように思います。ロシアでの生活は、そういった既成概念のようなものを打ち壊してくれました。 ロシアは多民族国家ということもあってか、人々の生き方は多様で、多くの人が「自分の人生の主人公は自分である」という意識を持って、それぞれの価値観を大切にしながら自分らしく生きているように感じました。私の住んでいたカムチャツカは田舎だったこともあり、特に自然体で生きている人が多かったかもしれません。 また、当時のロシアは、ソ連の崩壊とともに、それまでの社会のあり方や価値観が崩れ去った激動の時代でした。社会主義国家であるソ連の時代には、国民の生活を国が守っていましたが、ソ連崩壊後は、年金や給料が支払われなくなり、電気や水道などのインフラもままならない状況に陥りました。人々は生きるのに必死でしたが、手元に現金がない状態でも物々交換など、できることは何でもして生きていこうとするたくましさと、どんなに大変でも何とかなるという楽観的な明るさを感じました。私自身も、月々の給料だけでは生活できず、半月ほどは個人レッスンなどのアルバイト代でしのぐこともよくありました。こうしたロシアでの経験を通して、自分の価値観が大きく変わったと思います。活動している中で、やりがいを感じること、嬉しいことはどんなことですか? 香川県内にかぎらず、日本とロシアとの交流は、ビジネスにおいても文化交流の分野においても限られており、私たちの活動も道のないところに道を作るような側面が大きいです。そのため、大変なことも多いですが、新しいことに挑戦しながら、両国の人たちの交流を促進し、相互理解を深める手助けができるということに、やりがいを感じています。 ロシアで日本語を教えているときには、学生が一生懸命日本語を勉強しても、それを活かせる機会が少ないことが残念でしたが、現在は、留学サポートという形で、学生たちが日本で学んだり、就職したり、日本に関わる仕事に就いたりするためのサポートが行えることが嬉しいです。また、今年の2月には、念願だった香川からロシアへのプチ留学ツアーを実現することができ、そのことにもやりがいを感じています。今後の目標や抱負について教えてください。 2年ほど前、ロシア側の窓口をしている先生がモスクワの大学に移ったことをきっかけに、ロシアでの活動範囲が広がってきました。これまで築いてきたカムチャツカと香川とのつながりを活かしながら、より広い範囲でロシアと香川との交流を進めていきたいと考えています。また、今年は新型コロナウイルスの影響で、2006年から毎年行ってきたロシアからの留学生の受入れが中止となってしまい残念でしたが、来年は通常通り、受入れができるようになることを切に願っています。 今後、活動の範囲が広がっていっても、基本は一人ひとりとのつながり。これまで同様、相手の価値観を尊重し、それぞれに合ったつながり方を大切にしながら、自分にできることを継続的に行っていくつもりです。そうした地道な活動が、日本とロシアの友好的な関係につながっていけばと思います。最後に香川のみなさんへのメッセージをお願いします。 帰国後、ロシアとつながる仕事に10年近く携わってこられたのは、周囲のみなさんのおかげだと感謝しています。そんな感謝の気持ちを忘れず、地域のみなさんにロシアの文化や魅力に触れる機会を提供していけたらと思います。関心を持たれた方は、お気軽に声をかけてください!四国カムチャツカ文化交流センターしらさぎ事務所綾歌郡綾川町畑田2267-1 ?087-877-2507E-mail sogawa@white-egret.com連絡先しらさぎ事務所カムチャツカ国立教育大学での教師時代ゆかた着付け体験(穴吹学園の学生とモスクワ国立教育大学の留学生)モスクワプチ留学での様子この「人 」に注目香川の未来につながるストーリーNo.4!4 アイパル通信 2020 秋号